人生の半分はソフトボール選手だった私 教員時代にテニス部の顧問になってからソフトボールから遠ざかっていた。
末期の乳がんになったことをきっかけに、学校を退職して自営業になり
自分の自由な時間ができた。
ある日、「おい、がんの先輩、いろいろ教えてくれ」とメールが入った。
私ががんを経験してから、がんや病気に関するメールや電話がたくさん
くるようになった。
今度は誰だ?と思ったら
教員時代にソフトボール部で一緒に顧問をしていたF先生だった。
それから、がんの先輩としていろいろアドバイスをさせていただいた。
私が2003年6月に末期の乳がんになり、
F先生は、2004年6月に末期の喉頭がんになった。
偶然にも退職は同じ年度だった。
私は「元気倶楽部」を立ち上げ、出会った人が元気になるお手伝いを始めた。
F監督は大学の監督になった。
そんなことがあり、2006年の正月にふと、
「そうだ、ソフトボールに育ててもらった人生だからソフトボールに恩返しをしよう」
と思い、F監督に
「ソフトボールを愛し、一生懸命指導している人達に私たちでできる何かをしましょう」
と話を持ちかけた。
これがソフトボール上達練習法研究会のはじまり。
現在は、定期的に指導者クリニックやピッチャー強化講習会も開催できるようになり
多くの熱血指導者や選手の皆さんとの交流がある。
メールでの質問に答えたり、送られてくるピッチングフォームを見てアドバイスをしたり
とグランド以外でのキャッチボールが多い。
ピッチングといえば、F監督の指導理論が斬新、私が現場で指導していたときとは
理論が違うというか、進化している。
このピッチング理論が面白いので、ついつい私もこの歳になってピッチングを始めた。
キャッチャーなのに
ストレートからして違う、ライズボールなんて目からウロコ
F監督がちょっと教えただけで、球速が上がったと喜ばれる。
歩きながらシャドウピッチングをしてしまう今日この頃 |